境内を見る

境内を歩く

  • 那古寺の本尊千手観世音菩薩が安置されるのは、那古山の中段、山ふところに抱かれて配置される伽藍の奥にある観音堂で、これが那古寺の本堂にあたります。 山の麓の駐車場そばにある建物は本坊といって住職がおり、庫裏(くり)と寺の事務を執り行う寺務所が連なっています。


  • 観音堂へは石段を登るルートが昔からの参道で、登りつめたところが仁王門。寺院の建物を守る金剛力士像が安置されています。 昭和36年の建築ですが、永正8年(1511)年に修理再建された記録があり、むかしからある施設です。


  • 鐘撞き堂と呼ばれる鐘楼も昭和51年の建築で、梵鐘も同じときの新しいものですが、 永享12年(1440)には梵鐘が造られたと記録されています。 仁王門をくぐって右手の堂が阿弥陀堂。鎌倉時代の阿弥陀如来像が安置され、建物は震災前からのものです。


  • その先の多宝塔は江戸時代中期に建てられたもので、内部中央にある宝塔の中に多宝如来と釈迦如来を安置しています。 これと別に里見時代の慶長14年(1609年)に作られた釈迦如来像も安置されています。県内の多宝塔は室町建築の石堂寺多宝堂とこの那古寺多宝塔の2基しかなく、建築技法の推移を伺う好例とされています。


  • 観音堂の奥に日枝神社があります。神仏分離までは山王権現という境内鎮守堂がありましたが、現在は寺の管理ではありません。 那古寺北側に位置する川名区の鎮守日枝神社が那古寺の鬼門守護と伝えており、その別当は那古寺衆分の長勝寺が勤めていました。 境内にある日枝神社は裏鬼門を守護するといいます。 日枝神社下の階段中段に閼伽井(あかい)があります。観音堂へお供えする水を汲む井戸です。 多宝塔などの伽藍整備に尽力した東町の伊勢屋甚右衛門が、宝歴12(1762)年に井戸枠の石積みを行っており、大きく「閼伽井」の文字が刻まれています。


  • 観音堂を正面にみて左にあるお堂は大黒天を祀る大黒堂で、むかしからあるものではなく、昭和15年の額がかけられています。 その上の崖に掘り込まれている堂は、右が岩船地蔵で、左が竜王堂です。 岩船地蔵には舟型石に乗った地蔵菩薩が祀られ、小さな石の舟型品が50個ほど奉納されています。 新造船の安全祈願や船酔い止めなど漁師の信仰があります。竜王堂には仏法を守護する竜王を祀ります。 行基菩薩が那古の海で観音の霊木を見つけたときの由緒伝承にも竜神の話しが登場しますが、水との関連から竜王には海上守護の信仰があります。 幕末まではここに真言密教の教主である大日如来を祀る大日堂がありました。


  • 那古寺の中心となる観音堂は江戸時代中期の宝暦8(1758)年に再建されました。五間四面の堂で入母屋の屋根をかけた大きな建物であります。 内部は内陣と外陣に分けられ、その境には完成時に奉納された龍の欄間彫刻がはめ込まれています。 内陣の中心にある宮殿に本尊の千手観音像が祀られ、その両脇に不動明王像と地蔵菩薩像が配されています。宮殿は天明元(1781)年に建立されました。


観音堂を拝観する

  • 観音菩薩のことを円通大士とか大悲聖者ということから、観音堂を円通閣とか大悲殿といいます。 向拝(ごはい)に掲げられている額で、幕府老中を勤めた松平定信の書(文化14(1817)年筆)です。 奥州白河藩主として房総の海岸警備の任にあたったことがあり、館山を訪れたこともある。江戸出開帳がおこなわれた文政2(1819)年に江戸築地の日高屋与兵衛を中心に、江戸の商人たちが奉納しました。


  • 一般の信者が参拝する外陣(げじん)にはさまざまな奉納物が寄進されています。また江戸時代以降の人々はお堂にも様々な装飾を施しました。 絵馬やご詠唱の額、天上に描かれた絵や建物に取り付けられた彫刻などがあります。観音堂の内陣と外陣を仕切る格子の上の欄間には三面にわたって大きな龍の彫刻があります。 観音堂再建の翌年宝暦9(1759)年に江戸蔵前の札差大口屋平兵衛と地元の商人釜屋太左衛門らが奉納しました。作者は不明です。 その上部には、享保16(1731)年に江戸神田の彫刻師後藤茂右衛門正紀が制作した蟇股の彫刻が組まれています。


  • 格子の先を内陣といい仏が祀られる空間になっています。 本尊の千手観音菩薩像が安置されているのは中央の宮殿(くうでん)のなか。いわゆる厨子です。 正面の幅が440㎝という大きな厨子で、三間を設けて本尊の両脇に不動明王と地蔵菩薩を安置する千手三尊の形式です。 大工も世話人も地元の人々によって造立されているが彫物は江戸神田の彫刻師嶋村源蔵の仕事です。


  • 那古寺の由緒書によれば、本尊の千手観音菩薩は奈良時代の僧行基が海中より得た霊木を七尺の千手観音に刻んで、本尊として安置したとされています。 現在の本尊は像高およそ149㎝の一木造りで、平安時代後期の作。いわゆる藤原仏です。素朴な彫技に土着のエネルギーを感じさせる強さがある地方色豊かな作風がみられます。 元禄地震前の延享3(1675)年に江戸呉服町の平岡久右衛門・笹元八兵衛兄弟が修復し、同時に宮殿も再興したことが書かれた銅板の額があります。


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