観音堂
波静かな鏡ヶ浦の眺望
暖地性の木々に囲まれた寺
観音堂について
元禄一六年(一七〇三)の大震災で倒壊した後、宝永~正徳年間にかけて再建されたのが現在の本堂です。山の中腹に凛と佇むその姿は、館山の街と海を静かに見守り続けています。
円通閣
観音菩薩のことを円通大士とか大悲聖者ということから、観音堂を円通閣とか大悲殿といいます。 向拝(ごはい)に掲げられている額で、幕府老中を勤めた松平定信の書(文化14(1817)年筆)です。 奥州白河藩主として房総の海岸警備の任にあたったことがあり、館山を訪れたこともある。江戸出開帳がおこなわれた文政2(1819)年に江戸築地の日高屋与兵衛を中心に、江戸の商人たちが奉納しました
内陣
格子の先を内陣といい仏が祀られる空間になっています。 本尊の千手観音菩薩像が安置されているのは中央の宮殿(くうでん)のなか。いわゆる厨子です。 正面の幅が440㎝という大きな厨子で、三間を設けて本尊の両脇に不動明王と地蔵菩薩を安置する千手三尊の形式です。 大工も世話人も地元の人々によって造立されているが彫物は江戸神田の彫刻師嶋村源蔵の仕事です。
銅造千手観音菩薩立像
国指定重要文化財那古寺の由緒書によれば、本尊の千手観音菩薩は奈良時代の僧行基が海中より得た霊木を七尺の千手観音に刻んで、本尊として安置したとされています。 現在の本尊は像高およそ149㎝の一木造りで、平安時代後期の作。いわゆる藤原仏です。素朴な彫技に土着のエネルギーを感じさせる強さがある地方色豊かな作風がみられます。 元禄地震前の延享3(1675)年に江戸呉服町の平岡久右衛門・笹元八兵衛兄弟が修復し、同時に宮殿も再興したことが書かれた銅板の額があります。